並び替え:
絞り込み検索:
絞り込み検索:

電話した時の対応や説明の仕方など、とても良かったのでエコストアレコードに任せました。
買取価格:¥(無料サービスの梱包用の)箱もしっかりした段ボール箱が来て、同封の説明書が分かりやすかったです。わからない事や質問などにもていねいに説明あり。実際どのくらいになるかわからなかったので、査定明細書を見て納得。実家の片付け整理の為、CDとレコードを売りました。電話した時の対応や説明の仕方など、とても良かったのでエコストアレコードに任せました。値段が付くかどうかわからない物も一応引き取ってくださりとても助かった。

明細もきちんとしていた。値段を1つ1つつけて下さる査定をして頂けた。
買取価格:¥買取の為の段ボール箱の用意するきめ細かさ(当店では無料サービス)、わかりやすい説明書もありエコストアレコードの買取サービスには満足。査定結果にも満足、明細もきちんとしていた。値段を1つ1つつけて下さる査定をして頂けた。老後のことを考え、私物を減らす為にCDとレコードを売りました。インターネット検索のTOPに上がって、口コミの評判も良かったので、買取価格については期待しておらず高額査定という基準は考慮に入れずに、対応の良いエコストアレコードにしました。(CDの買取サービスは)初めて利用しました。長い間手放せずにいた、自分の中では愛着のあるレコード達でした。古いものですし、人気のある/なしも判りませんでしたが、お引き取り頂けて嬉しく思いました。まだ少し手元に置いておきたい物たちやオーディオもあります。また決心したら利用させて下さい。宜しくお願いいたします。

松任谷由実(荒井由実)のCD買取情報!ユーミンで人気の作品は?
買取価格:¥「ユーミン」の愛称で知られる松任谷由実(荒井由実)は、日本を代表するシンガーソングライターの1人です。70年代から活躍する彼女には根強いファンが多く、中古市場でも注目されてきました。年代ごとに魅力が変わるユーミンの世界観は、世代を超えた支持があります。この記事では、買取専門店で人気の松任谷由実作品について解説します。
松任谷由実とはどんな人?経歴や音楽性を紹介
1954年生まれの松任谷由実は、旧姓を「荒井」といいます。幼いころからピアノやベース、三味線などを習っていた彼女は、自然に音楽活動を志すようになりました。中学高校時代には趣味で曲作りを行っており、17歳の時点でプロの歌手に提供もしています。そして1972年、「返事はいらない」でメジャーデビューを果たしました。しばらくは商業的に苦しんだものの、1973年のデビューアルバム「ひこうき雲」が高い評価を得ます。それ以降、彼女の知名度も大きく上がりました。
荒井由実時代の楽曲はフォークの影響がありつつ、都会的なセンスがところどころに散りばめられています。1976年、ミュージシャンの松任谷正隆と結婚してからは、「松任谷由実」名義で活動するようになりました。松任谷由実は中学時代からのニックネーム、「ユーミン」を自ら名乗っており、ファンの間で浸透していきます。
80年代中盤以降から90年代後半にかけて、松任谷由実の黄金期が訪れました。この時期の彼女はオリコンシングルチャート1位を3度獲得しています。「真夏の夜の夢」「春よ、来い」などはミリオンセラーも記録しました。当時はタイアップ商法が全盛期だったこともあり、松任谷由実の楽曲はドラマや映画の主題歌になってヒットします。
さらに、1970年代後半から人気の上昇にともない、松任谷由実はコンサートの大規模化を進めていきました。やがて、彼女の構想は1999年「シャングリラ」に結実します。「シャングリラ」は歌とサーカスのコラボレーションであり、音楽を超えた一大エンタテインメントとなりました。松任谷由実のスケールの大きい活動は新旧のファンを獲得しており、中古市場でも注目されています。
買取専門店でチェック!松任谷由実(荒井由実)作品で人気のCDは?
1980年代から90年代に松任谷由実はアルバムヒットを連発していました。この時期の「ダイアモンドダストが消えぬまに」「THE DANCING SUN」などは人気曲が収録されており、ファンから支持されています。一方で、荒井由実時代の「ひこうき雲」「MISSLIM」などの素朴さを好むファンも少なくありません。そのほか、彼女のベストアルバムも安定したセールスを続けています。
松任谷由実(荒井由実)で注目のCD5タイトル
以下、松任谷由実(荒井由実)で特に人気のあるCDを、5枚挙げていきます。
「ひこうき雲/TOCT-10711」
1973年のデビュー作にして、名盤の評価を不動にしている1枚です。表題曲の他、「曇り空」「返事はいらない」など、ファンに愛されている楽曲が多数収録されています。ユーミンの声は繊細で、若々しさが満載です。本格的にスター街道を駆け上がる前の、純朴な魅力が散りばめられています。
「MISSLIM/TOCT10712」
1974年のセカンドアルバムで、ユーミンの世界観がさらに色濃くなった傑作です。吉田美奈子、山下達郎、大貫妙子など、ゲストミュージシャンの豪華さも話題になりました。彼女たちの音楽は「ニューミュージック」と呼ばれ、その後の日本のポップスを牽引していくようになります。新しい時代の始まりを告げる、歴史的な分岐点ともいえるアルバムです。
「ダイアモンドダストが消えぬまに/TOCT-10652」
ユーミンが商業的成功を手に入れ、スタジアム規模の歌手になっていく過程での1987年作です。大型タイアップがついた「SWEET DREAMS」「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」などが収録されており、日本全国にユーミンの名は知れ渡りました。この頃からコアな音楽ファン以外も、ユーミンを愛聴し始めます。バブル期のムードを残す、華やかなアレンジにも注目です。
「THE DANCING SUN/TOCT8600」
1995年度のアルバム売上ランキング3位を記録した作品です。「Hello, my friend」「春よ、来い」といった2曲のミリオンヒットを収録し、セールス的に大成功を収めました。ユーミンの絶頂期を象徴するアルバムだといえるでしょう。コンセプトにとらわれることなく、楽曲の強さを引き立てるようなサウンドプロデュースが行われました。ユーミンのディスコグラフィーの中でも、特にポップな作品です。
「ノイエ・ムジーク YUMI MATSUTOYA COMPLETE BEST VOL.1/TOCT-24001」
90年代後半のベスト盤ブームで、満を持してリリースされたアルバムです。ユーミンの人気曲を詰め込んだベスト盤である一方で、ファン投票も実施し、リクエストが多かったナンバーも収録されました。その点でも、ファンサービスが全開になっているCDです。ちなみに、初回版だけには初期の名曲「卒業写真」が入っており、こちらのバージョンを追い求めているファンはたくさんいます。
エコストアレコードに松任谷由実(荒井由実)作品の買取相談を
松任谷由実(荒井由実)のCDの買取を考えているなら、エコストアレコードがおすすめです。エコストアレコードは豊富な買取り実績を誇る、中古専門店です。熟練のスタッフがさまざまなジャンルの査定を行ってきました。洋楽邦楽に関係なく、人気作品を取り扱えます。まずは、気軽に買取受付までご連絡ください。
※本サイトに掲載されている記事の著作権はFTF株式会社に帰属します。投稿した記事のリライトの可能性が高い場合は顧問弁護士と協議の上、即日中に法的な処置を行います。

CD買取でも注目。ヒップホップ界の伝説と化したカリスマ的ラッパー、2パック(2Pac)の生涯を解説
買取価格:¥
ヒップホップ界のカリスマ的ラッパー、2パック(2Pac, トゥパック)。彼のCD作品が買取で熱い眼差しを注がれているのをご存知でしょうか。1996年、2パックが凶弾に倒れてから30年近く経とうという今もなお、その人気は衰えることを知りません。何故そこまでの人気を彼は時代を超えて集めているのか。
エコストアレコードが彼の生涯を紐解きます。
知られざる2パックの生涯
2パックは1971年6月16日、アメリカ・ニューヨーク州ブロンクスで誕生。本名はTupac Amaru Shakur(トゥパック・アマル・シャクール)といいます。「Tupac Amaru」は古代インカ帝国にいた指導者が由来となり、「Shakur」はアラビア語で”神への感謝”という意味を持つことから名付けられました。そんな2パックを女手一つで育て上げたのが母親、アフェニ・シャクール。彼女は60年代半ばに黒人の人権を求めて活動した団体、ブラック・パンサー党で活躍した人物。党内では主に男性が権力を持つなか、アフェニは女性としては珍しく高い地位に就き黒人の地位向上を求めて闘いました。父親はおらず、アメリカでの黒人地位向上を目的に活動した母親を持つ特殊な家庭環境で2パックは育ちました。
母アフェニはブラック・パンサー党で活動していたと知られると雇い主から不当に解雇されてしまうこともあり、2パックの幼少期は貧しさに苦しんでいたといいます。しかし、日々の生活、食事に苦しんでいたのは彼ら家族だけでなく、「黒人社会では皆が貧困に喘いでいる」と2パックは次第に気付くようになります。思春期を迎える、多感な子供時代にその繊細な感性が感じ取った世の中の不平等は、のちの偉大なるラッパー 2パックを築く礎となりました。
88年、2パックがまだ高校生の時に受けた当時の貴重なインタビュー動画が存在します。その模様はPeter Spirer監督の2002年公開ドキュメンタリー映画作品『Tupac Shakur: Thug Angel ? The Life of an Outlaw』に収録。30分以上にわたりカメラが回ったそのインタビューで彼はこう語っています。
「女の子も車も音楽も好きだけど、僕は社会問題に目を向けたい。ドラッグに関する授業、真剣な性教育、警官による暴行の存在を教える授業、アパルトヘイトについての授業、なぜ人々が貧困に悩まされているかを教わる授業があるべきなのに、実際にはそんな授業は無くてジムで体育なんかをやっている。さあ、バレーボールをやりましょうだなんて」出典:Spirer監督, 『Tupac Shakur: Thug Angel ? The Life of an Outlaw』
その辺りにいるただの17歳の少年とは違う、理路整然とした、成熟した大人のような受け答えがインタビューでは撮影されていました。
10代の頃、2パックは仲間とデュオを組み、MCニューヨークという名でラップミュージックを披露するようになります。そんなとある日、当時カリフォルニア州に住んでいた彼は、世界的に名が知れ渡り始めたヒップホップグループ、デジタル・アンダーグラウンドを知り合いに紹介されます。グループ加入のオーディション日、同グループのリーダーであるラッパー、ショック・Gの前で即興でラップを披露。パフォーマンスが終わるとメンバーへの加入がその場で決まり、2パックは驚きを隠せませんでした。しかし、もっと驚いたのはショック・G本人。後に、先ほどの2002年公開のドキュメンタリー映画作品内でショック・Gは、「彼が披露したラップは教養とストリートの強烈さを兼ね備えたものだった」とその時のインパクトの大きさを語っています。2パックは見事チャンスを自分のものにし、デジタル・アンダーグラウンドの91年発表アルバム作品『This is an E.P. Release』の収録曲、「Same Song」でソロでのラップパートを担当。まさに、ラッパー 2パック誕生の瞬間でした。
2パックに更なる追い風が吹きます。彼のラップ音源が吹きこまれたデモテープが出回り、それが音楽レーベル、インタースコープ・レコード社の目に留まったのです。91年、2パックは同レーベルからデビュー作となる『2Pacalypse Now』をリリース。ソロアーティストとしての活動を展開するようになります。ヒップホップの世界に彼の名が響き渡るきっかけとなったのが、同作に収録されたファーストシングル曲「Brenda’s Got A Baby」の歌詞。ゲットー(貧民街)で生活する12歳のブレンダという少女が望まない赤子を生み、シングルマザーになるという実際の社会問題がもとになった深く悲しい物語。黒人社会を悩ます根深い問題であり、誰も取り上げようとしなかった題材なだけに聴くものに大きな衝撃を与えました。
また、「Trapped」という”ハメられた”というタイトルが付けられた楽曲では、黒人に理由もなく暴力を振るう不正な警官についてラップしました。
”奴らは俺をハメたんだ / 警官から嫌がらせを受けたり、目で追われたり、身元を聞かれずには街中を歩けない / 何もしてないのに両手を上げさせられ、俺を壁に押し付ける / 「お前みたいなどうしようもないやつはいつか地獄に落ちるんだ!」と言われ / 手錠をされ、コンクリートに叩きつける / 警官が俺を殺そうとするんだ /ここは危ないストリート / 「バンバン」と銃声が聞こえてまた怪我人が出た / 発砲して蛮行を働いているのは何を隠そう警官自身なんだ” (2パック「Trapped」の歌詞より、日本語訳は筆者によるもの)
93年にはセカンドアルバムとなる『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z.』を発表。アメリカのR&Bチャートで最高4位を記録するヒットとなりました。その後も2パックの快進撃は止まりません。ジョン・シングルトン監督による映画『ポエティック・ジャスティス』ではジャネット・ジャクソンと共演を果たし、俳優業にも進出しました。
94年11月、そんな彼に突如として悪夢が襲い掛かります。レコーディングのため、ニューヨークのスタジオを訪れたところ、何者かが2パックに向かって銃を発砲。5発被弾した彼は突然のことに驚き、エレベーターを使って死にもの狂いで上階へと逃げました。エレベーターが階について扉が開いた時、さらなる混乱が襲います。そこには2パックとは以前からの友人だったラッパー、ノトーリアスB.I.G.(The Notorious B.I.G.)と彼のレーベル仲間がいたのです。2パックは「裏切られた」と思ったことでしょう。銃弾を浴びた僅か3か月後、包帯を体にぐるぐると巻き痛々しい車椅子姿の2パックは訴えられていた事件の裁判に出席するために出廷。「同意のない性的な接触」で懲役1年半から4年半という刑に課せられ、刑務所へと収監されました。
服役中に3枚目のアルバム『Me Against The World』をリリース。同作は自身初めてとなるチャート1位に輝くことに。収録曲のひとつである「Dear Mama」は、かつて黒人の人権のために闘いながら、2パックを女ひとりで育て上げ、覚せい剤中毒にも陥ってしまったこともある母アフェニへ「ありがとう」という感謝の気持ちを歌った曲。今でも「Dear Mama」は彼を代表する曲のひとつとなりました。
そんな中、牢屋に閉じ込められた2パックに思わぬ話が。昔からの知り合いだったデス・ロウ・レコードのオーナー、シュグ・ナイトから「デス・ロウへと移籍すれば保釈金140万ドルを準備してやる」という交渉でした。2パックにとっては無視できない話です。95年10月、彼はシュグ・ナイトと契約。デス・ロウへと加入するとともに刑務所から解き放たれることになったのです。96年2月には同レーベルから自身4作目となるアルバム『All Eyez On Me』をリリース。『All Eyez~』はヒップホップの歴史の中で初めてとなるCD2枚組での発売となった作品(レコードでは4枚組)。また、ニューヨークでの銃撃事件が発端となり、2パックが憎んだ相手、ノトーリアスB.I.G.を攻撃する歌詞を持つ「Hit’em Up」も収録(ノトーリアスB.I.G.は当時事件への関与を否定していた)。2パックはカリフォルニア西海岸を代表し、一方でノトーリアスB.I.G.はニューヨーク東海岸を代表するラッパーであることからメディアは東西抗争としてテレビや雑誌でこぞって取り上げました。
悲劇は突然起こります。ラスベガスで行われた友人マイク・タイソンのボクシングを観戦しシュグ・ナイトの運転により車で移動中、横付けしたキャデラックから何者かが銃口を向け発砲。2パックは4発の銃弾をその身に受け、医師の懸命な治療の甲斐もむなしく昏睡状態に陥ってから6日後である96年9月13日、まだ25歳という若さにしてひとりの男の物語は幕を閉じたのです。
買取の前にチェックしたい、2パックの人気CD作品
ツパカリプス・ナウ 2Pacalypse Now(ワーナーミュージックジャパン, 型番 AMCY-422)
1992年発売、2パックの記念すべきソロデビュー作。デジタル・アンダーグラウンドの一員だった彼のキャリアが花開いた記念碑的アルバム。
ミー・アゲインスト・ザ・ワールド Me Against The World(ワーナーミュージックジャパン, 型番 AMCY-805)
1995年発売、自身2作目となるアルバム。スティービー・ワンダーの曲「ザット・ガール」をサンプリングした「ソー・メニー・ティアーズ」や彼の代表曲「ディア・ママ」を収録。デジタル・アンダーグラウンドのメンバーや名プロデューサー、イー・ジー・モービーなども参加。
オール・アイズ・オン・ミー All Eyez On Me(マーキュリー・ミュージックエンタテインメント, 型番 PHCR-3036)
1996年発売、ラッパー 2パックにとって4作目となり、彼にとって生前最後のアルバムにもなった作品。ドクター・ドレーやスヌープ・ドッグらウェストコーストヒップホップを代表する錚々たる面子が参加し、新たに加入したデス・ロウ・レコードのレーベル色が色濃く反映された内容。ヒップホップ音楽作品として初の2枚組CDとなった。
当店ではこちらの商品(型番 PHCR-3036)の帯、解説書付き 状態良好品を1,500円で買取いたします。
グレイテスト・ヒッツ Greatest Hits 【Blu-spec CD】(BMG, 型番 BVCP-20032~3)
悲運の死から2年後である1998年に発表された、2パックの人気曲を網羅したベストアルバム。上記の型番のものは完全生産限定盤として2009年に発売されたリマスター版高音質Blue-spec CD。
アンティル・ジ・エンド・オブ・タイム Until The End Of Time (ユニバーサルミュージック, 型番 UICS-1016/7)
2001年発売作品。2パックが生前残した貴重な未発表音源を編集した、死後のリリースとなる新作。2枚組での発売となった。衝撃的な最期から5年後、未だヒップホップのトップとして君臨していた彼の人気は変わらず高く、発表時に大きな話題となった作品。
2パックのCD買取なら迷わずエコストアレコードまで
差別に抗い黒人の人権のために活動した母親に育てられ、繊細な感性をもとに詩をノートに書き綴る。それをヒップホップのビートにメッセージを乗せてラップした稀代の天才ラッパー、2パック。彼の衝撃的な死から30年以上経った今でも、史上最も優れたラッパーとして彼の名を挙げるミュージシャンは多数います。それだけ2パックというひとりのラッパーが残した26年間の生涯はヒップホップシーンに多大な影響を与えているのです。
その人気は衰えることがありません。彼が発表したCD作品の数々も買取では高い注目を集めています。もし、昔購入した2パックのCDがあなたのお部屋にただ眠っているだけだとすれば、それは非常にもったいないことだといえます。あなたの青春を彩った、2パックのCD作品を買取に依頼してみませんか?
ヒップホップのCDに限らずあらゆる音楽ジャンルのCDを買取しているエコストアレコードなら余計な手間がかからないので安心です。音楽を愛してやまない当店スタッフがあなたからの買取のご相談を心よりお待ちしております。まずはメールかお電話にてお気軽にお問い合わせください。
文:福田俊一(Ecostore Records)
※本サイトに掲載されている記事の著作権はFTF株式会社に帰属します。投稿した記事のリライトの可能性が高い場合は顧問弁護士と協議の上、即日中に法的な処置を行います。

佐藤博について解説!買取市場で需要のあるCDの特徴や人気タイトルも紹介
買取価格:¥佐藤博は1947年生まれの日本のシンガーソングライターです。他にもキーボーディストやピアニストなど様々な肩書きを持ち、幅広く活躍していました。残念ながらすでに亡くなっていますが、令和4年になった現在も彼の音楽は多くの人々に愛され続けているのです。そこでこの記事では佐藤博について解説しながら、買取市場で需要がある彼のCDの特徴や、実際に買取されているタイトルについて紹介します。
佐藤博とは?
佐藤博は1947年鹿児島県で生まれ、2歳の頃に京都に移住しました。佐藤の実家は寺で、長男である彼は将来家業を継ぐことがほぼ決まっていたのです。しかし自分で職業を選べない状況に耐えられず、中学生の頃には生きる希望すら失っていました。そんな状況から佐藤を救い出してくれたのが、ギターの音色でした。音楽に関わることができれば生きていけると考えた佐藤は、高校生になるとギターだけでなくベースやドラムの演奏も始めました。
高校1年生の頃にはすでに、自宅の蔵で多重録音にも挑戦しています。様々な角度から音楽に触れ、佐藤は演奏することよりも作曲や編曲をすることに興味があると気づきました。そのためにはピアノ演奏が必要だと考え、20歳の頃に独学でピアノを習得したのです。必死の練習の甲斐あって、1970年頃には大阪でバンドのピアニストとしてプロデビューを果たします。その後京都にも活動の幅を広げ、フォーク系ミュージシャンと共演したり、石田長生とともに「THIS」というバンドで活動したりしました。
1975年頃に上京し、1976年には遂にファーストソロアルバム「SUPER MARKET」を発表します。1977年にセカンドソロアルバム「Time」を発売し、さらに1979年にはサードソロアルバム「ORIENT」を発売しました。並行してスタジオミュージシャンとしての仕事もこなし、ソロデビューからわずか2、3年にも関わらず、彼の仕事はどんどん増えていきました。一見すると佐藤の音楽活動は順風満帆のようでしたが、実は彼自身は相当悩んでいたのです。
興味のないジャンルに関わることに耐えきれず、佐藤は1979年にアメリカへと向かいます。アメリカで様々なミュージシャンと共演して刺激を受ける中、佐藤の心を突き動かしたのは「Linn Drum LM-1」というドラムマシンの音色でした。これがあれば日本でも自分のやりたい音楽が追求できると考え、佐藤は1982年になると日本に戻り、アルバム「awakening」を発表しました。1980年代は数多くのテレビやCMの楽曲制作に携わり、佐藤の音楽が世の中に広く浸透した時代でした。
2000年代になるとプロデュース活動にも力を入れ始め、佐藤の手掛けた楽曲が音楽賞を受賞することもあったのです。このような素晴らしい経歴の持ち主である佐藤博の音楽には、様々な魅力があります。佐藤は一人で多重録音するという音楽スタイルで、日本ではかなり早い年代から今では当たり前に使われている打ち込みやシンセサイザーを取り入れていた人物です。そのおかげで令和4年になった現在でも、佐藤の楽曲は違和感なく聴くことができます。
さらに彼の音楽はデジタルサウンドでありながらも、ポップスやブルース、ジャズ、ブラックミュージックなど様々なジャンルの要素が感じられ、聴く者を飽きさせません。また、ピアノの腕前は特に素晴らしく、大瀧詠一や細野晴臣など多くの有名ミュージシャンが佐藤の演奏を高く評価しています。佐藤はミックスダウンの作業にも深く関わり、音質が劣化しないことや自分のイメージしている音質に近づけることなどに拘り続けていました。こういった様々な魅力や拘りの詰まった佐藤博の音楽は、これからも多くの人々に聴き継がれていくでしょう。
買取市場で需要のある佐藤博のCDの特徴
佐藤博のCDは同じタイトルが何度も再発売されていますが、買取市場では最初にCD化された時のものの需要が高いです。特にコアなファンの方からの人気があります。他にもリマスタリングされた高音質CDも、音質に拘る方からの需要が高いです。
佐藤博の人気タイトルを紹介
ここで佐藤博のCDの中から、特に買取市場で人気が高いタイトルを紹介します。
「アウェイクニング スペシャル・エディション/MHCL-30275」
こちらは2014年発売のCDで、1982年に発表されたシティポップスの名盤とも言われている、4枚目のソロアルバムのリマスタリングバージョンです。2枚組の高音質CDで、発売当時の音質が再現されています。未発表のオフヴォーカルトラックや、佐藤自身が新たにリミックスした音源なども収録された豪華盤です。
「SAILING BLASTER/BRIDGE-239」
こちらは2015年発売のCDで、1984年に発表された5枚目のソロアルバムのリマスタリングバージョンになります。ファンクやブルースの要素を取り入れており、ファンからの人気が高い作品です。インスト曲やビートルズのカバー曲なども収録されています。発売当時のものを再現したミニチュアブックレットやライナーノーツも封入されています。こちらも残っていれば、さらに買取市場での需要が高いです。
「SOUND OF SCIENCE/BRIDGE-240」
こちらは1986年に発表された6枚目のソロアルバムのリマスタリングバージョンで、2015年に発売されたものです。打ち込み中心でありながらも、人間味溢れるポップスの数々が収録されています。紙ジャケット仕様で、特にコアなファンからの需要が高いです。
佐藤博のCDの買取ならエコストアレコードへ
佐藤博は今では当たり前の打ち込みやシンセサイザーを、日本でいち早く楽曲制作に取り入れていた才能溢れる人物です。令和4年になって聴いてもなお新鮮に感じる楽曲たちは、今後も多くの人々に愛され続けていくでしょう。そんな佐藤博のCDの買取ならば、エコストアレコードにおまかせ下さい。確かな知識を持ったスタッフが適切な査定をします。買取のお申し込みをお待ちしています。
※本サイトに掲載されている記事の著作権はFTF株式会社に帰属します。投稿した記事のリライトの可能性が高い場合は顧問弁護士と協議の上、即日中に法的な処置を行います。