今回は「アビイ・ロード(Abbey Road)」の情報と、The Beatlesの実際に高価買取されている中古レコードの特徴をご紹介します。1969年9月26日に発売された「アビイ・ロード(Abbey Road)」は、ビートルズが発表したどのアルバムよりも世界中に熱狂を与えました。これまで色々と悩み、試行錯誤を繰り返してきた実験的な「ビートルズ」としての集大成がこの「アビイ・ロード(Abbey Road)」。言わずと知れた名作を解説します。
アビイ・ロード(Abbey Road)とは?
1959年9月26日、ビートルズが12作目のアルバムとして発表した最高の作品が「アビイ・ロード(Abbey Road)」です。
デビューアルバムからその存在感を見せつけ、年間2本のアルバムを基本として生み出してきた4人。
ドラッグと出会いインドで精神世界に触れ、それでもまだ固まりきらない自分達の方向性・音楽性、バンドとしてのあり方に悩み続けていましたが、本作で「これぞビートルズ!」と言わしめる結果を打ち立てたのです。
1970年の売上枚数は、なんと3,100万枚以上。
EMIレコーディングスタジオが、この偉業を通じて「アビイ・ロード・スタジオ」と改名されてしまうほどの事件でした。
全英チャート(ミュージックウィーク・ビルボード・キャッシュボックス)では連続1位記録を伸ばし、全米で9位、日本で2位という記録も本物の証拠です。
本作からステレオ盤のみの発売となり、モノラル盤は作られなくなりました。
ここまで素晴らしい記録を打ち立てたビートルズですが、「アビイ・ロード(Abbey Road)」は解散を危惧されている最中に発表されたアルバムでもあります。
事実、「アビイ・ロード(Abbey Road)」の発表時にはすでにジョン・レノンはオノ・ヨーコとともにプラスティック・オノ・バンドでのソロシングルを発表。
すでにバラバラになってしまっていた4人でしたが、ポール・マッカートニーがジョージ・マーティンに「レコードを1枚作りたい」と連絡したことで、本作が生み出されたのです。
実は、「アビイ・ロード(Abbey Road)」はビートルズのラストアルバム。
しかし、発売時期の問題で13枚目に発売されたのは「レット・イット・ビー(Let It Be)」であり、最後にして最高のビートルズを世の中に残すこととなりました。
1969年1月末にラストアルバムとされている「レット・イット・ビー(Let It Be)」の収録はほぼ終了。
しかし、非常に覇気のないビートルズが刻まれていました。
そのことを悔やんだポールは、意を決してジョージ・マーティンに連絡。
ジョン・レノンは「A面こそ素晴らしいが、B面はジャンクだ」という言葉を残しましたが、世界中でB面を評価され、ポール・マカートニーとリンゴ・スターは「B面は最高傑作だ」と語っています。
「レット・イット・ビー(Let It Be)」の収録状況の詳細が発表されたことで、一部の曲を1970年1月にジョン不在のまま録り直し、フィル・スペクターが3?4月にかけて再プロデュースしたことで順番が前後しました。
高価買取されるThe Beatlesのレコードの特徴について
ビートルズのレコードには、過去に「460万円」という金額で落札された幻のレコードが存在。
また、同様な理由で高額での取引をされたものもあります。
その理由が、「試し刷り・未発売」のレコード。
つまり、世の中に出回るはずではなかったプロト盤・テスト盤が存在しているというわけです。
一般発売されず、当時の裏ルートから流れたことから手に入れることすらままならないかもしれません。
とんでもない金額で高価買取されるものにはそれなりの理由があるということです。
「アビイ・ロード(Abbey Road)」を大解剖!
-収録曲-
【A面】
カム・トゥゲザー(Come Together)
ジョン・レノンが作った曲。
「ドラッグの教祖」ティモシー・リアリーがカリフォルニア州知事選挙に出馬表明した際に作られた応援ソングです。
サムシング(Something)
ジョージ・ハリスンが作った曲で、唯一のシングルA面曲としても発表。
妻のパティ・ボイドへのラブソングに思われがちですが、ジョージ本人は「レイ・チャールズを想像していた」と話しています。
マックスウェルズ・シルバー・ハンマー(Maxwell’s Silver Hammer)
ポール・マッカートニーが作った曲。
ゲット・バック・セッションで何度もレコーディングを繰り返されたことで、メンバー誰もが良い印象を持っていなかった曲です。
リンゴ・スターは「最悪なセッションだった」と話しています。
オー!ダーリン(Oh!Darling)
ポール・マッカートニーが作った曲。
日本では日産サニーのCMに使われました。
ジョン・レノンはこの歌を歌いたがっていましたが、作者であるポールがリードボーカルを務めています。
オクトパス・ガーデン(Octopus’s Garden)
リンゴ・スターが作った曲で、クレジット表記は「リチャード・スターキー」名義。
リンゴ自身はコード進行も3つしか知らないためにジョージ・ハリスンに作曲を依頼していますが、リンゴ・スターらしい曲で子供からの人気はダントツでした。
アイ・ウォント・ユー(I Want You [She’s So Heavy])
ジョン・レノンが作った曲。
ビートルズが4人揃って演奏した最後の曲となりました。
【B面】
ヒア・カムズ・ザ・サン(Here Comes The Sun)
ジョージ・ハリスンが作った曲。
解散前でさまざまな会議が重なった中、嫌になりボイコットした日にエリック・クラプトンの家で作られたジョージの穏やかな時間に作られました。
ビコーズ(Because)
ジョン・レノンが作った曲。
オノ・ヨーコがピアノで弾いていたベートーヴェン「月光ソナタ」のコード進行を逆向きにした曲で、ジョージ・ハリスンのお気に入りです。
ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー(You Never Give Me Your Money)
ポール・マッカートニーが作った曲で、日産サニーのCMに起用。
アラン・クレインに対する不満を思い切り歌に乗せています。
サン・キング(Sun King)
ジョン・レノンが作った曲。
太陽王「ルイ14世」を歌っており、出鱈目なスペイン語を散らばらせるなど、ジョン・レノンらしいハチャメチャな終わり方です。
ミーン・ミスター・マスタード(Mean Mr. Mustard)
ジョン・レノンが作った曲。
インドでの瞑想修行中に出会った「マスタード」というホームレスの日常を綴っています。
ポリシーン・パン(Polythene Pam)
ジョン・レノンが作った曲。
「インドの瞑想修行中に書いたガラクタの一つ」と言い放っています。
ジョンのジョークを誰も笑わず、誰も理解できないことにジョージはヤキモキしていました。
シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー(She Came In Through The Bathroom Window)
ポール・マッカートニーが作った曲。
ファンの女の子がポールの部屋に忍び込んだエピソードから作られています。
ゴールデン・スランバー(Golden Slumbers)
ポール・マッカートニーが作った曲。
義妹が実家のピアノの中から取り出した楽譜の中から、とにかく歌詞を気に入ったこの曲を独自の旋律で奏でています。
キャリー・ザット・ウェイト(Carry That Weight)
ポール・マッカートニーが作った曲。
ビートルズ解散後であっても「ビートルズであったことを4人が背負っている」という解釈と「ビジネスの難しさ」を歌っているという解釈されています。
本作がゴールデンスランバーのサビだとも言われている、興味深い1曲です。
ジ・エンド(The End)
ポール・マッカートニーが作った曲。
ビートルズの楽曲の中で唯一リンゴ・スターのドラムソロが入った曲ですが、リンゴ自身はドラムソロが嫌いだと明言しています。
ハー・マジェスティ(Her Majesty)
ポール・マッカートニーが作った曲で、ロック・ミュージック史上初の隠しトラック。
ビートルズのメンバーは参加せず、ポール1人による弾き語りです。
「アビイ・ロード(Abbey Road)のレコード高価買取はエコストアレコードへ
最後の最後にビートルズとしての偉業を形にした「アビイ・ロード(Abbey Road)」という名盤。
ラストアルバムとして華を飾るにふさわしい、世界中に夢を与えてくれたビートルズがこの中に生きています。
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